攝津幸彦の作品から立ちのぼってくるものは肯定性である。彼に対するインタビューや「豈」同人に伝わる気風から察してもそれを感じる。ここで言う肯定性、極めつけはジョージ秋山(「ビッグコミックオリジナル」)の名作『浮浪雲(はぐれ雲)』の主人公「雲」の性格である。日常を楽しく受け取ると言うことである。攝津の場合、自分の病を自覚してからも、そのことの作品への反映は極小であるのはその現れだ。また、悲壮な長男ではなく、皆に受けとめられているという「末っ子長男」的心性もあるだろう。
一方で
幾千代も散るは美し明日は三越 『鳥子』幻景
川に落ち山に滑りて戦地とす
襟立ててハルピン破れて異国かな
に前後する一連のように戦争をネガティヴに描く作品も多いが、批判と言うよりもノスタルジーが主眼である。むろん、ネガティヴであるから、七五三のポスターに見るような空疎な古き良き日本肯定とはかけ離れている。むしろ攝津の学生時代は、「革命的な、あまりに革命的な(絓秀実)」時代であり、あらゆる権威は笑うべきものであった。したがって、詩客『戦後俳句史を読む・第7回』で堀本が挙げているように、初期は5・7・5型式でなにができるかを試している。後期においても、
文禄元年春以下百字読めずに候 『四五一句』
など、穏健ながら詩形の短さの無責任にも居直ればよいという発見である。
しかし彼は、観察家や分析家ではなかった。写生とはおよそ異なる方向に向かう。山口誓子のような対極的存在を思い浮かべるとよい。発見を言葉で正確に表現するよりも、ことばを風に流しもっとも豊かと感覚される瞬間を定着するという詠み方である。したがって彼の作品は無意識の方向にふくらみエロスをはらむ。
踊り子の曲がりて開く彼岸かな 『與野情話』
ばれているのか。しかしそんな読みでいいのか。この句にはもっと遠くが見えるではないか。この種の惑わしは彼の常套手段である。
豊かさとは世に言う豊かさではなくて、言葉の組みあわせの機微・文目が多くの妄想をかき立てると言うことである。
南浦和のダリアを仮のあはれとす 『鳥子』
殺めては拭きとる京の秋の暮れ 『鳥屋』
湯畑の小屋をとんぼが押している 『鹿々集』
解析しても理解が進むわけではない。感得すべきものである。しかし彼の基調音は、反権威性と手を取り合ったおおらかな肯定性にあると言えるだろう。
(作品は『攝津幸彦選集』(邑書林2006年)によった。)