戦後俳句を読む(11-2)・・・攝津幸彦の句 「ショートショートで綴る・幸彦句の淋しさ」/北川美美

ショートショートで綴る・・・幸彦句の淋しさ

淋しさの涙で辺りが海になった。なまぬるい羊水の中に戻ったようだ。涙の海で泳いでいると太海(千葉県鴨川市)に辿りついた。立ち泳ぎをしながら陸をみると、つげ義春の漫画の原風景が見えた。『ねじ式』の男もいる。その海は唱えると鯛がでてくるという。鯛がそこらじゅうにいる。30年も生きた老鯛も。遠慮なく、鯛がからだに体(タイ)当たり…。あぁ泣きながら可笑しさがこみ上げてきた。
淋しさを許せばからだに当る鯛 『鳥屋』

涙の海でぷかぷか浮いていた浮き輪。出てきた空気もそのまま涙になった。俺のあん子は煙草が好きでいつもぷかぷかぷか。西岡恭蔵は何故死んでしまったのだろう。やっぱりひとりが淋しかったのか。輪となれば淋しい、笑っていてもギターを弾いてもやっぱり淋しい。いつもぷかぷかぷか。
輪となりし空気淋しも浮袋 『陸々集』

淋しいという感情はいつから人間に備わったのだろう。夕餉の支度をしながらふと嫌われ松子は考える。ひとりものの女がつくる一人分の筑前煮。ひとは、いずれひとりで死んでいく。
太古より人淋しくて筑前煮 『鹿々集』

出張の次いでの日帰り温泉旅行。湯畑の階段で別の男女と眼があった。どこか後ろめたさのある眼差しはあの男女も俺たちと同じということか。神社の境内ではホトトギスが喉を赤くして鳴いている。東京に戻るまでに噎せ返るような硫黄の臭いと情事の怠さを取らなければならない。
情交や地上に溺るゝ蜀魂(ほとゝぎす) 『鸚母集』

外はギラギラと太陽が照りつけている、昼間のアパート。知らぬ間に部屋の隅で女が汗をかきながら泣いている。ふと女に手を入れるとすでに濡れていた。これは白日夢なのかと男は考える。自分はこのまま堕ちていくのか。ここを出なければ。
手を入れて思へば淋し昼の夢 『鸚母集』

薄暗いアパートから外に出ると、夏燕が忙しく飛び去って行った。雛に餌を与えるために飛び回る夏の燕は忙しい。頬に燕の糞がしたたれた。糞は、燕の涙だろうか。それとも松子の涙なのか。松子から離れるなら今かもしれない。
肛門をゆるめて淋し夏燕 『鹿々集』

しばらく連絡のない男の様子に気づき、松子は、男の仕事場である祐天寺のマンションに来た。やはり不倫は不倫である。エレベーターの中に合鍵で落書きを彫った。「タカシのバカ」。ドアの前でベルを鳴らすこともできず、泣きながら非常階段を下りた。見上げると虹がみえた。
階段を濡らして昼が来てゐたり 『鳥屋』

文鎮は文士の小物。この文鎮は、涙でできている。淋しくて泣けば涙はぽろぽろとこぼれ鉱物になる。ダイヤモンド、ルビー、サファイア、キャッツアイ・・・秋のうつろいが淋しく重い。全て沈めてしまおう秋の海へ。
淋しさを文鎮として秋の海

岐阜の郡上八幡の徹夜踊りに姉が子供を連れて帰ってきた。ふたりの子供を母に預け、そそくさと浴衣で出かけた姉を路地裏で見かけた。男と一緒だった。群上踊りの喧騒の中、朝になっても姉は帰ってこなかった。子供たちが朝の町にでると水路に緋鯉が泳いでいた。
濡れてすぐ緋鯉となりぬ夏の姉

***

「淋しい」という漢字「淋」には、「そそぐ」「したたる」「長雨」などの意があり、「さびしさ」の別の意味を持たせたのは日本特有の用法である。だから「淋しい」とは濡れている状態になりうること。淋しい→泣く→濡れる→エロティックという構図を描いてみる。淋しくてすぐ寝てしまう、薄幸そうな女についつい惹かれてしまう、男の儚い願望がみえる。
萬愚節顔を洗ふは手を洗ふ 『鹿々集』
泉よりはみだす水を身にとほす 『陸々集』
ぬばたまの夜の人となり舟となる 『鹿々集』
渡仏して極楽浄土の雨に遭う 『四五一句(未刊句集)』

幸彦句は水っぽい。だからなにもかも流れてしまう。悲しさ、情念も流れていく。「淋しさ」も、諸行無常となってゆく。彼の岸も濡れているのだろう。幸彦のいる岸辺は生温い涅槃の水であることを想像する。
淋しいは濡れてゐること幸彦忌 美美

タグ: ,

      
                  

「戦後俳句を読む-攝津幸彦の句」の記事

  

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress